自然栽培とは

自然栽培とは

縄文文化から弥生文化へ。
我が国において、農耕がはじまり、「食物を生産する」行為が行われるようになってから、既に長い年月が経ちました。農耕技術は時代と共に発展し、進化を遂げてきました。

 

破滅的な食糧危機が起こる度に、見直されてきたであろう農耕は、いつしか大規模・機械化への途を辿ることになりました。結果、「作り過ぎ」「捨て過ぎ」「食べ過ぎ」という問題を生み、
現代は飽食の時代と比喩されるようになりました。

 

飽食の時代が抱える問題点は、フードロスだけに留まりません。

  • 大地の氣が入っていない水耕栽培。
  • 自然環境と共に生産者・消費者平等に、健康が蝕まれていく慣行栽培。

いずれも長い目で未来を鑑みれば、非常にリスキーな「その場しのぎの栽培法」といえるでしょう。
ただし、そのおかげさまで、あなたや私たちが今日まで飢えずに生きてこれたのも、疑いようのない事実であります。つまり、健康面や環境への影響を考えると、問題点が多いが、「悪」ではないのだ。

 

さて、だからといって、自らの心が決して見て見ぬフリできぬ、これらの問題点をスルーしたまま、そしらぬ顔で農を営むなど、私には逆立ちしても出来ません。
念のため言っておきますが、これは綺麗事ではないのです。

私たち農あるくらしを志す者にとって、知っておくべき言葉があります。
それが「自然栽培」です。

Contents

Ⅰ.概要

インターネットや書籍で「自然栽培」について調べると、このように定義してあります。

・農薬を使用しない
・肥料を使用しない

これらが自然栽培の大原則。
その他にも、

・(畑の外部から)持ち込まない
・耕さない

などの条件が加えられている場合もあります。

いずれにしろ、自然栽培とは、「必要以上に人の手を加えず、その土地の特性や環境性質を活かした栽培方法」だということが分かります。

Ⅱ.有機栽培との違いと共通点

有機栽培では、農薬と化学肥料を使用しません。
従来の農法(慣行農法、または慣行栽培といいます。)と比較した場合、生産者・消費者・自然環境、全ての面において配慮がなされた栽培方法だという点で、自然栽培と共通点が多い栽培方法です。

また、多くの消費者の方が、購入の動機につながる「見た目が美しい」野菜や果樹の生産にも有利、という点で、優れた栽培方法だと思います。

 

自然栽培との違いは、

  • 有機肥料を使用すること
  • 一部の許可された薬剤は使用可能であること

です。それに、国の定めた有機JAS法により、認定機関に毎年認定料を納め、認定されることで、「有機農産物」「オーガニック」という言葉を使用することができるようになります。
※2019年現在、有機JAS認定および更新料は下限50,000円くらい/年〜(耕作面積により変動)が必要となります。

 

また、有機肥料を使用することによって、安定生産につながりやすいことも大きなメリットです。

Ⅲ.自然栽培で植物は育つのか

では、もう一度自然栽培について考えてみましょう。
自然栽培には大原則として、

自然栽培の大原則
・農薬を使用しない
・肥料を使用しない

と、先ほど述べましたが、このうち肥料については「有機肥料」も基本的に使用しません。
植物は、その畑が備え持つ「大地の力」によって、たくましく生きていくのです。

 

植物の成長には、窒素・リン酸・カリの三大栄養素に加え、ミネラルなどの微量栄養素が必須だとされています。これらを補う為に、人間が外から持ち込む「肥料」が必要だ、というのが従来の考え方です。

 

しかし、2014年末に借り受け、もともとは耕作放棄地であった宗自然農園のみかん畑には、さかのぼること幾数年もの間、農薬はおろか、肥料分は持ち込まれていない状態です。
それにも関わらず、大した病気も無く、美味しく健康的なみかんを、毎年冬の風物詩として、お客様に楽しんでいただいております。

見た目の美しさはともかく、こんなに美味しいみかんは初めて食べました。

ありがたいことに、このような感想をいただくこともあります。

私たち夫婦は、この特別な美味しさの秘密は、「みかん本来の持ち味が出ている状態」だと理解しています。肥料を使用しないということは、何のごまかしもない、味になる、ということ。
つまり、みかん本来の純粋な姿だといえるでしょう。

自然栽培というやり方は、その植物本来が持っている特性を、正直に素直に、そのまま引き出すことができるのです。


「金の蜜柑」。
開園以来、自然栽培ひとすじに育ちました。

その秘訣とは

では、なぜ施肥(肥料を与えること)をせずに植物は育つのでしょうか。
自然栽培を実践されている農家さんによって、考え方や捉え方は様々あるでしょうが、宗自然農園では次のように考えています。

多様性があれば植物は育つ

そう確信が持てるようになるには、数年を要しました。
・・・どういうことかというと、土の中には数億とも数兆ともつかない、膨大な微生物や菌たちが生命を営んでいて、その営みの中で有機物や無機物の循環・還元が行われています。

植物たちは根から養分(エネルギー)を吸収しますが、こうした「生きた土」があれば、人がわざわざ外から持ち込まずとも、植物たちは自然に育っていくことができるのです。

他に必要なモノといえば、「光」に「水」、それと「風」ぐらい。
つまり、自然界に存在するモノだけで充分なのです。

 

Ⅳ.余談〜人のカラダと植物との共通点〜

あなたや私たち、人にカラダも本来は同じようなものなのかも、しれません。
昔から、食物を摂らず、光や呼吸だけを摂り入れて生きていく食事法(プラーナ食)や人(ブレサリアン)が存在し、近年ではここ日本でのプラーナ食実践者も増加してきている、という話も耳にするようになりました。

しかし、植物は人間とは違い、自由に動き回ることの出来る、便利な足を持っていません。
光や水を求めて、生命活動に有利な場所へと移動することが出来ないのです。
だからこそ、畑の環境を、植物にとって快適に。
イキイキ、のびのびと過ごしやすく整えさせていただくことが、私たち百姓のおつとめです。

 

Ⅴ.余計なことをしないこと

ところで、自然栽培の畑では、「大量のみかんを生産する」という目的は、残念ながら達成が難しいと思います。大量生産・大量卸で大儲け!というビジネスモデルとは相性の噛み合わせが良くない上に、そもそも何故、自然栽培を行うのか、という、解決できない謎に悩み、自問自答の果てに迷い続けることになるでしょう。

だから、無理はしなくて良いのです。

無理をしなくとも、優しく、丁寧な心と所作に植物たちは、ちゃんと応えてくれるし、(植物に高度な意識が存在していることは、バックスターやダーウィンなど、さまざまな人々の研究により明らかになっています。)たとえ大儲けしなくとも、慎ましく、豊かに暮らしていきるだけの果実をみかんは私たちに分けてくれます。

 

人が人の都合のみを優先し、余計なことをしてしまえば、微生物たちの世界のバランスが崩れ、樹木を支える大地たちが病気になっていく。
水は汚れ、海へと流れ、私たちの世界のバランスも崩れていく。
自然栽培は、そんな自然界の摂理を私たちに教えてくれました。


「金の蜜柑」が元氣に育つのは、
微生物たちから始まる循環の
おかげさまなのです。

Ⅵ.私たちにとっての自然栽培

宗自然農園にとっての自然栽培は、大きく分類して3つの役割で成り立っています。

一つは、大地が多様性を取り戻し、豊かな生態系を保つための「お手伝い」。
微生物や菌たちが心地よく、自然なパワーバランスが保たれた状態に導くためのお仕事です。
これには丁寧な観察力と、静かな心が求められます。

 

一つは、植物たちが健やかに育つよう、生命活動に必要な光・水・風の循環を滞らせることなく、通り道を確保する「掃除」。
剪定や摘果など、樹々のメンテナンスもここに含まれます。
体力・技術・知識ともに必要なお仕事です。

 


木をよく観察し、
「木がして欲しいこと」を施す。
見極めは重要です。

 

最後の一つは、「伝導」。
誰もが小さな幸せを感じながら、生を全うするために、世界のバランスを保つことは最重要です。
微生物たちの小さな世界が、私たちの世界の縮図だと考えてみれば分かるのですが、自然界にとって不自然なことを続けていくと、その世界はやがてバランスを崩し、ごく一部の生物しか存在できない「死んでしまった世界」になってしまうのです。

この文章を最後までお読みくださったあなたは、この世界を、より良い方向に導いていく力を備えているハズです。といっても、そんなに難しいことではありません。

あなたや私たち、ひとりひとりが、この世界のために出来る「ちいさなこと」を、諦めずに積み重ねて生きていく。ただそれだけで良いのだ、と私は思います。

智慧と信念、愛に勇氣。
それに心の力が不可欠な、あなたにしかできない最も重要なお仕事です。
私たちと共に、小さな気づきを伝えていってみませんか?
私たちは自然栽培を通じて、これからも小さな気づきをお伝えしていきます。

 

Ⅶ.さいごに

以上が、宗自然農園流の「自然栽培」になります。
この世界の尊い生命たちが営み、育んできた「農産物」をどうぞ、
ご賞味くださいませ。

毎年10月頃より年末にかけて販売しております。