
皆様こんにちは、農園主です。
早いもので2015年の開園以来、7回目の夏を迎えています。
この時期には草倒しといって、草刈機の代わりに鉄パイプを使ってミカンに絡みつく草々を抑えながら園内を見廻っています。
汗だくになりながら、一夏のうちに何度も何度も園内を廻っていると、ときどき
「何故僕はこんな事をしているのだろう」
という雑念が浮かんできます。
園内には、健康な木ばかりではありません。
冬の寒さで弱ってしまった木、夏の暑さで弱ってしまっている木、弱ったところをカミキリムシやナガタマムシに狙われ、枯れてしまった木。
見る度に歯痒さを覚えます。
農薬や、肥料さえ使えばこんな事には...。
そんな風な雑念が浮かぶこともあります。
自然栽培の名の元に、上手にブランディングをして、高値をつけて売る、いわゆる【儲かる農業】をやりたいワケでもありません。
そこで今回は、何故私が自然栽培にこだわるのか、という問いに自問自答してみたいと思います。
Contents
新しい生き方のモデルケースを作りたい
突き詰めると、この一言に集約されています。
私の考える新しい生き方とは、人に依存せず、支配もされない生き方を目指し、これが成功した暁にはモデルケースとして、その方法をあなたにお伝えしたいと考えております。
誰もが人らしく生きる権利があるから、その権利は自分の手で保護しなければいけないのです。そうしなければ、一体誰があなたや私の権利を守り続けてくれるというのでしょうか。
ただし、自然界は誰に対しても平等です。
すべての人は自然界の法則に従ってさえいれば、誰かを支配したり支配されたりする必要性を本来、感じないハズなのです。
科学の万能さに傾倒するあまり、美しい自然界の全てを支配しようとする人類は、必ず地球全体に不調和を生んでしまう現実を、私はこの世に生まれて嫌というほど見せつけられてきました。
幼い頃からTV嫌いで、本を読み、音楽を聴き、考え事ばかりしていたからでしょうか。本当に小さな頃から、このことに心を痛め続けて今日まで生きております。私がこの世を去るまで、きっとこの想いは消えないでしょう。
だから私は、ちっぽけな自分のチカラでも出来る事に対して、人生を掛けて取り組むことにしました。それが自然栽培と、自給自足をベースにした自然農的くらしの実践です。
これには4つの目的があります。
自然栽培・自然農的くらしの4つの目的
- ①農薬や肥料に頼らず成り立つ農業(正しくは農的くらし)の成功事例を作る
- ②疲弊していく大地を再生し、後世に豊かな農地を繋いでいきたい
- ③食べ物=農業者が作るものという常識を疑って欲しい
- ④自然界への感謝と、誰もが地球に依存して生きていることを思い出して欲しい
この通りとなります。具体的には、
①農薬や化学肥料に頼らず成り立つ農業(正しくは農的くらし)の成功事例を作る
Twitterなどを見ていると、【農薬や化学肥料のおかげで国民の食料が自給でき、農家が生活できている】という意見をよく耳にします。
『農薬の歴史』というサイトを見てみると、
確かにそういった側面もある、ということをわざわざ否定はいたしません。
ただ、人類は長年に渡って農薬や化学肥料、除草剤を使用し続けてきた結果、掛け替えのない自然環境を汚染し続けながら生きている現実から目を背けてはいけません。
(人目線として見ても)結果として、大地や海が疲弊し、ますます収穫効率の乏しい農地が広がるばかりで、長期的に考えてみると食料問題の解決にとってマイナスにしかならないのではないでしょうか?
ちなみに、農林水産省によると国内の食料自給率はカロリーベースで37%(平成30年度)と、決して充分な量を確保できているとは思えません。昭和40年には73%だったようですので、著しく減少しております。
もちろん自給率の低下原因は農薬ではなく、輸入に頼りすぎていたり、担い手の不足など複数の要因が絡み合った結果だと思われますが、農家だって農薬を身体に浴び続けると健康を損なってしまうリスクを抱えていて、出来る事なら使わずに暮らしていきたい、というのが本音ではないでしょうか。
正直な話、この国にはアメリカのような大規模農園は全然向いていないと思います。
だからこそ小さな農地を丁寧に、それぞれが必要な分を自ら作り、豊作なときは適正な価格でお金や、欲しいモノと交換してもらえば済む。それだけのお話のように感じます。
現代のように経済第一主義を続けていったところで、解決方法の見えない問題は増えていく一方で、農業もその問題の渦中にあります。
一体、日本の農業をビジネス化した先にどんな明るい未来が待っているというのでしょうか?
私は、現在のこの暮らし方を8年続けて結果、心身に無理がなく、家族との触れ合いも充分、そして時間的ゆとりが豊富に出来るため、必要であれば田畑以外のことでビジネスをすることも充分可能だと感じています。
ただし必要以上な贅沢はできないので、足るを知り、感謝を捨てずに暮らしております。
成功というと分かりませんが、もう少し、こういった暮らしを誰もが簡単に実践しやすいカタチになるまで、創意工夫を続けていくことが必要なのかもしれません。
②疲弊していく大地を再生し、後世に豊かな農地を繋いでいきたい
現在、私の他にも少なくない方々が、日本中で自然栽培や自然農に取り組まれていると聞いております。
ところが2〜3年やってみたはいいものの、どうにも上手くいかずに諦めてしまった。
これもよく聞くお話です。
では、なぜ自然栽培はこんなにもうまくいかないのでしょうか。
私自身、実践を始めてからまだ8年しか経っておらず、偉そうに自然栽培を語れる立場ではないのですが、苦しみ、悩み、考え抜いた自分なりの結論はあります。それは、
大地が疲弊しているからに他ならない。
これだけのことです。
大地の再生には破壊よりも多くの時間がかかるのです。
これまでの私たちの当たり前の暮らしの中で、いかにして大地の循環が乱され、生態系が破壊されてきたかを痛いほどに思い知らされる事実でした。
私は、まさか自分が間接的にとはいえ、こんな大地を創ってしまっていたなんて、この暮らしに飛び込むまでは知る由もありませんでした。
私は自戒を噛み締めつつも、じっくり時間をかけてこの問題に取り組んでいけば解決可能である、と確信しています。そう、まだ間に合います。
10年かかっても50年かかっても、私は自分が担当させていただいた大地の病を癒やし、次の世代のあなたへ豊かに循環する大地を繋いでいきます。
③食べ物=農業者が作るものという常識を疑って欲しい
農産物の価格については、生産と流通と消費のバランスを考えた上で適正になるよう設定すべきと考えております。安過ぎても高過ぎても厄介で、解決困難な問題が膨らんでいく場面を感じてきたからです。
個人的には、ブランディングをして自農園の農産物をプレミア化させるような方針は好まみません。ただし、安売りもしません。
私は①の目的でお伝えした通り、自給自足をベースにクリエイティブに仕事をする自然人が増えて欲しいと願っておりますので、自然栽培や自然農に取り組む方が増えてくれると嬉しいです。
このような作り手が増えてくると、自然と市場は適正価格に落ち着いてくるため、そこから頭ひとつ抜きん出てやろう、などと利己的に考えることはやめておきます。
昨今では"農"がビジネス化され"農業"と混同されがちの風潮がありますが、農とはつまり、自給自足をベースにした、経済にも科学にも依存しない、自然に学び、自然と暮らす地球と調和した生き方のことであり、私はその素晴らしい人生観をもっとたくさんの人たちと分かち合いたい。
そのためには、せめて食べ物は自分の手で(正確には自然の手で)作れるようになりたいですし、なっていただきたいです。
世界を変える前に、自分が変われるような大人になりたいです。
④自然界への感謝と、誰もが地球に依存して生きていることを思い出して欲しい
結論として、自然栽培にこだわる理由は豊かな農地を再生させることで国が富み、民が富み、豊かな心が育む平和な社会を目指し、後世にこの楽園を繋ぎたい、という想いが私にはあります。
誰もがこの地球の健全な循環なくしては生きていくことができないのです。
科学の力は偉大です。
しかし、力に溺れるあまりいつしか感謝を忘れ、無感情に命を刈り取り続けるようになってしまったとき、そこに愛はあるのでしょうか。
まだまだ自然栽培や有機農業に対しても風当たりの強い日本では、理解が得られず苦しいこともありますが、私はめげません。
さあ、焦る必要はありません。
土の上に立ち、経済第一主義の世界から、ゆるやかな脱却を果たせたとき、本当のあなた、という生き方が輝き始めるのではないでしょうか。
なんだか選挙っぽい論調になってしまいましたが、笑い飛ばしてくださいませ(笑)
最後までご覧いただき心より有難うございます。